正義の拡張をめざして~ 交差性理論の実践1

交差性(インターセクショナリティ)は抑圧の絡み合いを理解するための重要概念であり、あらゆる差別・搾取・暴力と闘うことを目標とする今日のビーガニズム運動でも脚光を浴びている。しかしながら、キーワードとしての交差性を理解しても、その観点をみずからの実践に取り入れ、文字通りあらゆる抑圧に対抗するための正義感覚をやしなうことは継続的な努力なしには叶わない。加えて日本ではまだ交差性の概念が人口に膾炙し始めたばかりという段階であり、その観点を実践に活かすとはどのようなことかも曖昧模糊としている感がある。

そこでこのたび、交差的ビーガニズムに関する二つの有用な記事を訳出紹介することとした。一つはカナダの人気ビーガンサイト「Plant Based Bride」を運営するエリザベス・ターンブルの記事、もう一つはVegan Social Clubsの立上げ人でビーガン支援の活動に取り組むクリス・コーマーの記事である。後者については日本の状況を踏まえ、訳者なりの補足を付け加えることとした。どちらの記事も私たちの正義感覚を磨くための貴重な助言を含んでいるので、ビーガンに限らず、社会正義運動に取り組むすべての人々に読んでもらいたい。




交差的ビーガンになるための方法

エリザベス・ターンブル 2016年10月19日



交差性は過去1年のあいだにビーガンの活動家と擁護組織のあいだで旬な話題になりました。けれどもそれはどういうもので、なぜビーガンが自分の活動にその視点を含めるべく努力をすべきなのでしょうか。


交差性とは何か

簡単にいうと、交差性とはあらゆる抑圧――人種差別、性差別、階級差別、能力差別、種差別、その他――の相互連関を捉えた概念です。

これらの序列カテゴリーは単体の抑圧形態ではなく、実のところ相互に依存・連結して、社会を覆う統一体の抑圧システムを形づくっています。

例えば、女性かつクイアの人は、性別と性的特質ゆえの抑圧を、おのおの独立したもののごとく別個に経験するのではなく、連結し合った混合体のようなものとして経験します。言い換えれば、その人が味わう抑圧は部分の総和以上ということです。

交差性概念の意義は、このような社会の中の抑圧と特権の複合効果を理解できるだけでなく、あらゆる抑圧の共通の根源を明るみに出し、さまざまな社会集団の人々を結集させられることにもあります。


交差性という言葉はキンバリー・クレンショーが1989年の論文「人種と性の交差を脱周縁化する――反差別の教義、フェミニズム理論、反人種差別の政治に対するブラック・フェミニズムの批評」で唱えました。クレンショーと交差性の歴史について、より詳しくはこちらをご覧ください。


なぜビーガンの私たちは交差性理論を取り込む必要があるのか

私たちは手を組めばより強くなれるからです。そして性別・性的特質・人種・国籍・階級・能力・宗教・種の違いによらず、誰も抑圧されてはならないからです。

すべての社会正義集団がつどったとき、この世界にもたらせる変化を考えてみましょう。個々の集団が認知されるために闘う代わりに、みなが一堂に会し、あらゆる者にとっての正義を求めて闘うことができたら、どうでしょうか。

もしもフェミニストたちが女性の権利のためだけでなく、有色人種の権利のためにも闘うとしたら。有色人種かつ女性の人々だけでなく、有色人種のあらゆる人々のために闘うとしたら。

もしもLGBTQ+の活動家たちが、LGBTQ+コミュニティに属する人々の権利に加え、動物の権利をも求めて闘うとしたら。

もしもビーガンたちが、人ならぬ者たちの権利に加え、あらゆる周縁化された人々の権利を求めて闘うとしたら。

私たちはこれら重要な闘争のおのおのに、何百万という声を加えることができるのです。数知れない人々を歓待する安全な空間を設け、その人々の心を私たちの訴えに対し開かせることができるのです。

これこそが真の変革へ至る道筋です。その土台は諸問題を絶えず単純化することではなく、抑圧は誰が被るのであれ不正に違いないと理解すること、抑圧は終わらせねばならず、私たちはその夢を現実とするために手を組まねばならないと理解することにあります。

これは必要なことというだけでなく、正しいことでもあります。


どうすればよいのか

交差性が重要であることは分かりました。ではその視点を活動に取り込むにはどうすればよいのでしょうか。

ビーガンは人間のことを気にかけない、という見方はビーガン・コミュニティの外部に深く根づいています。私自身がビーガンである立場から、この見方はまったくの間違いだと断言できます。しかしながら、一部のビーガンやビーガン団体が、例えば女性の身体を性的な形で利用し、ビーガン活動をメディアに載せようとするさまなどを思えば、人々が上のような印象を抱くのも理解できます。

ビーガニズムは動物だけに関わるものではありません。それはあらゆる者への思いやりに関わるものです。そしてそのあらゆる者には人間も含まれます。


1 目を見開く

交差性の観点を活動に組み込むためにまずしなければならないのは、身の周りをとりまく抑圧に対し目を見開くことです。さまざまな社会正義運動について学習しましょう。ドキュメンタリーやインタビューを視聴し、記事や論文を読むのです。私たちは抑圧と闘う前に、抑圧に気づかなければなりません。


2 聴く

目を見開いたら、次は耳を開く番です。

私は白人です。有色人種の擁護に最善を尽くしていますが、その集団の一員ではありません。自分の人種ゆえに抑圧を被った個人的経験はありません。だからこそ聴くということが極めて重要な意味を持ちます。私は有色人種の友人や知人がみずからの経験について語るときには傾聴します。その話を相手が共有してくれるままに受け止め、感情移入します。私の状況理解を相手が形づくるにゆだねます。

大きな社会正義運動について学びながらも、同時に個々人から個々人について学ばなければなりません。相手に寄り添う傾聴者となり、相手に物語をつむがせましょう。ある集団に属する当事者は、最初に声を上げる機会を得るべきです。そのようにしましょう。


3 声を貸す

目と耳を開き、大きな運動と被抑圧者個々人の経験を学んだら、声を上げるときです。人々の運動にあなたの声を貸しましょう。

大切なのは人々の声を増幅することであり、人々に代わってあなたが出しゃばることではありません。これは状況によりますが、声を上げるのに適したタイミングがいつかはあなただけが決められます。私がのっとるのは、もしある集団の当事者がいない状況で、その集団に対する抑圧を存続させる有害な言葉や振る舞いがみられたら、自分が声を上げる、という規則です。もしその集団に属する人が1人でもいれば、その当人に声を上げる機会を譲ります。

さて、時にあなたは間違いを犯すこともあるでしょう。それはよいのです。そうした際にどうすればよいかは後ほど考えます。


4 見返りを期待せずに支援を行なう

自分の声だけでなく、時間も使って他の社会正義集団を支援しましょう。ただしその際、争点をずらして別の問題に光を当てようとしてはなりません。この理由から、私は例年のプライド・パレードを支持するビーガンらのアプローチを苦々しく思っています。多くのビーガンはこの機会を利用して動物の抑圧に抗議しますが、そこで最優先すべきはLGBTQ+のコミュニティと連帯することです。これは誰かがビーガニズムについて尋ねてきたときに会話をするなという意味ではなく、LGBTQ+コミュニティの支持は純粋な動機に根ざすべきだという意味です。なぜならそれは正しいことだからです。支援の見返りに発言の場を得て、「本当の」関心が向いている問題を訴えたい、などという期待が動機であってはなりません。

見返りを求めずに支援する、というこの姿勢は、あらゆる形態の抑圧を終わらせるのに効果的というだけでなく、私たちが支援する集団の人々にとって、ビーガン運動をより開かれたものとします。

思いやりを無償で与えれば、よいことが起こります。


5 自分の言葉を見直す

ビーガン運動、そして日常での言葉づかいに気を配りましょう。

Black Lives Matter(黒人の命を守れ)運動が起こって以来、ビーガンたちが「all lives matter(すべての命を守れ)」という文言を使い続けてきたことについては、論争に次ぐ論争がありました。このフレーズを使うビーガンの多くは、Black Lives Matterの運動が始まる前からこれを用いていたのだから使用をやめる理由はないと主張しています。

この理屈の問題は、いまや人種差別的とみなされるようになった当のフレーズを使い続けるせいで、大勢の人々をビーガン運動からさらに遠ざけることです。有色人種の人々はビーガン・コミュニティで安心を得られず、それをかれらが訴えても一部のビーガンは無視し続けています。聞いていないのです。問題といわなければなりません。

「奴隷制」「レイプ」「ホロコースト」といった言葉の使用にしても、口にする前にこれはどうかと考えるのは有益です。そして、自分の言葉が有害と指摘されたら聴きましょう。


6 間違いを謝り、そこから学ぶ

間違いは誰でも犯します。つまるところ私たちは人間なのです。私はより交差的観点を磨こうとしながらも毎日のように間違いを犯します。自分が間違ってきたこと、これからも間違うであろうことは認めなければなりません。そして自分が間違ったことを自覚したら、私は謝り、学び、前へ進みます。

非ビーガンとの会話でこうしたことがあったときは特に重要です。もしその人から有害な言葉について指摘を受けたら、聴きましょう。自己弁護や議論をしてはいけません。ただ聴くのです。その人を傷つけた言葉について謝り、指摘に礼を言い、それについてもっと考えてみるという意志を伝えましょう。これがすべてです。基本の敬意を相手におよぼし、自分の間違いを受け入れる姿勢でいましょう。


この投稿をヒントに、みなさんが交差性を理解し、その観点を日々の活動に組み込んでくれたらと願ってやみません。質問やコメントがあれば下のコメント欄に気軽に書き込んでください。

それではまたお会いしましょう。


元記事リンク:https://plantbasedbride.com/blog/how-to-be-an-intersectional-vegan

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