用語集


本用語集では動物倫理に関わる概念の解説を行なう(随時更新)。

「*」は、本用語集に該当項目の解説があることを示す。

欧文索引はこちらを参照。




【あ】

新しい動物福祉 ⇒ 新福祉主義


エコフェミニズム ecofeminism

解説記事を参照。



【か】

飼い貶し〔かいおとし〕 domesecration

社会学者デビッド・ナイバートの創作語。動物を人間の飼育下に置く飼い馴らし(domestication)の営みを、人間による動物の手段化、動物が持つ固有の価値の剝奪(desecration)として捉え直した概念。


還元主義 reductionism

本来は、全体は部分より成り、部分の探究によって全体が理解できると考える思想。近代以降ではとりわけ、意識や思考など高度に精神的ないし有機的と見なされる事象の原理も、より単純で無機的な物質原理で説明できるとする立場を指す。生命現象はすべて物理学と化学で説明できるとする機械論*の考え方や、動物は水、蛋白質、カルシウム、等々の集合に過ぎないという考え方は、世界全体を物理的事物とその作用に還元する物理還元主義といえる。生物体(有機体)の場合、これらの材料を適切に組み合わせれば元の動物や植物が出来上がるのかという点については懐疑的な生物学者も多く、ゆえに複雑系や全体論のような考え方も注目されだしたが、一方で心の働きを脳の電気的処理と見做したり、個々の遺伝子の働きを網羅的に調べ上げていき生命の全体像に迫ろうとしたりするなど、認知科学や分子生物学の自然主義的アプローチが隆盛をきわめる今日の生命科学は、依然として還元主義に大きく依拠しているといわざるを得ない。

*機械論


機械論 mechanism

あらゆる事物や現象を、てこやバネといった機械の原理によるモデルで説明できるとする思想。近代科学の勃興時に生まれ、ルネ・デカルトらの数学モデルを基盤とすることで近代合理主義の原理となり、特に産業革命期以降の技術時代に急速に発展した。ラ・メトリの人間機械論などをはじめ、生命現象の全てを物理法則の次元に落とし込めると考える現代生物学の立場にいたるまで、様々な種類がある(あくまで思想であり、この捉え方が自然物や自然現象をみる見方として適切である根拠はないことに注意されたい)。

生物学者の間では批判も増えてきたが、17世紀の機械論者が宇宙や動物を時計になぞらえたのに似て、今日でも脳やDNAがコンピュータのごとく見做され、具体的にも感情や快苦といったものまでがホルモンの作用で説明されるなど、依然として機械論的合理主義の支配は揺るがない。

機械論を肯定する立場から、工学の原理を自然や生物に適用する道具主義的な考えが妥当とされ、食料を自動車のごとく大量生産しようという現代型農畜産業の発想や、動物を人用の臓器製造機にする遺伝子組み換え動物利用の発想、さらに不要な部品は交換すればよいという臓器移植の発想などが出てくる。

なお、生物には物理法則に帰せられない魂や霊が具わっているとする立場を生気論という。


空虚な対象 ⇒ 不在の指示対象



【さ】

菜食/菜食人 ⇒ 脱搾取/脱搾取派


菜食主義/菜食主義者 vegetarianism/vegetarian

動物の肉身を食べない立場。元来は脱搾取*も菜食主義の一種とされていたが、菜食主義は動物の乳液や卵、時には鶏や魚を食べる立場をも含むので、近年では概念の混同を避けるため、両者を分ける傾向が強まっている。

*脱搾取/脱搾取派


純菜食 ⇒ 脱搾取/脱搾取派


種差別(主義) speciesism

動物の権利論者リチャード・ライダーの創作語。種の違いを根拠に動物の道徳的価値を序列化する態度。生物界における人間の優位性を問い直す概念として生まれた。

西洋思想の伝統において、人間は理性を具える、言語を有する、道具を使えるなど、様々な根拠をもとに、他の動物よりも道徳的価値の勝る存在と位置づけられ、それが人間による動物支配を正当化する倫理的根拠となってきた。

しかし第一に、現実には少なくとも一部の人間以外の動物が、そうした人間の優位性の根拠とされる特徴(理性や言語能力など)を具えている。第二に、少なくとも一部の人間(幼児、精神遅滞を抱える人、認知症を抱える人など)はそれらの特徴を欠く。したがってある能力や特徴の有無をもとに人間と他の動物を二分する試み自体に無理がある。そして第三に、そもそも理性や言語能力や道具使用能力といった特徴は、道徳的な優位性の根拠とはならない。言葉を操れる、あるいは箸を扱えることが、道徳的に優れた存在の証であるという理屈は、理屈になっていない。

以上のことから、人間が他の動物よりも道徳的に優れていると主張できる根拠はない。にもかかわらず人間が他の動物を価値の劣る存在として扱うとしたら、それは種の違いにもとづく差別でしかない。人間は人間であるがゆえに他の動物よりも尊い、という議論は、男は男であるがゆえに女よりも偉い、という議論と、構造的に変わらない。道徳に無関係な基準にもとづく差別が悪であるというのなら、種差別は性差別や人種差別、年齢差別、障害差別、その他あらゆる人間差別に劣らない悪である。


人新世 anthropocene

大気化学者パウル・クルッツェンらの創作語。人為活動が地球の様相に決定的影響を与えだした時代を、完新世に次ぐ新たな地質年代区分として捉えた概念。その始まりは農耕の誕生期や産業革命期など諸説あるが、一般には人間の社会経済活動と地球システムの構成に著しい変化――いわゆる大加速(great acceleration)――が生じた1950年代前後とされる。人新世はもともと人為活動の影響を見つめ直すための警鐘的概念として唱えられたこともあり、現在では自然科学領域を超え、人文・社会科学の分野でも、人間と自然ないし人間と人外存在の関係性に新たな光を当てる概念装置として注目を浴びている。


新福祉主義 new welfarism

動物の権利論者ゲイリー・フランシオンの創作語。動物利用の廃絶を目標としながらも、その段階的戦略として動物福祉*を推進する立場。元来、動物搾取は許されないものの、産業利用される動物たちをすぐに救済することは叶わないので、当面の応急処置として動物福祉を進め、最低でもかれらに一定の快適さだけは保証しよう、との考え方に根差す。動物の権利団体と称する組織の大多数は新福祉主義の方針をとる。

動物の権利確立が一朝一夕に成らないことは誰しも認めるところであるが、そこから一足飛びに、動物福祉の推進が段階として必要であると考える点に新福祉主義の問題がある。段階的戦略ということでは、様々な手法による脱搾取*の普及活動や、動物産業を支える法的・経済的基盤の解体(畜産振興策の漸次撤廃など)もあり、必ずしも動物福祉の推進だけが選択肢ではない。

むしろ動物福祉の推進は「無駄」で「非生産的」な虐待をなくすことで動物利用を効率化し、消費者にも「福祉にかなった」動物製品を直接・間接に勧める結果になるなど、産業を利する方向に作用するおそれがある。

さらに、動物福祉の推進は業者との粘り強い交渉を経るため、歩み寄りを図る動物擁護団体は往々にして「業者化」する傾向がある。その表われの一つが、動物擁護団体による「人道的」畜産物の宣伝活動である。

またそもそも、動物福祉を推進する主張が業者や政府に受け入れられたところで、「人道的」な飼育や屠殺が実行に移されるのは何年も先のことになるため、そうした努力はいずれにせよ「今いる」動物たちを助ける応急処置にはならない。

さらに、いつ訪れるかも分からない将来の動物たちを解放するため、現在の動物たちの権利を訴えるのは妥協するという態度は、つまるところ現在の動物たちを将来の動物たちの踏み台(手段)とする態度に他ならず、動物の権利論の基本理念とは相いれない。

これらの危険や限界に対する反省から、別の道として廃絶主義*が提唱されだした。

*動物福祉、脱搾取/脱搾取派、廃絶主義


人類学機械 ⇒ 人間学機械


生権力 ⇒ 生政治


生政治 biopolitics 〈仏〉biopolitique

生老病死や保健衛生など、生に関わる現象を管理する統治形態。フランスの思想家ミシェル・フーコーによれば、かつて西洋社会を支配していた主権者の権力は、死を下す剣に象徴される生殺与奪の権限だったが、近代に入るとその補完役として、人々の生に着目し、その保護と向上に努める新たな権力が現われた。すなわち、死を下し生を許していた旧来の主権的権力を補うべく、生を育み死へ棄て去る生権力(biopower; biopouvoir)が台頭した、といえる。生権力は一方において個々人の身体に働きかけ、規律によってその有用性や生産性を最大限に引き伸ばそうとする。他方、生権力は種としての人間集団に対しても、保健制度や衛生教育、医療キャンペーンなどを通して働きかけ、出生率や死亡率、平均寿命等を最適な値で維持しようとする。この前者(規律による身体統治)を解剖政治といい、後者(包括的政策による集団管理)を生政治という。政府による出産支援や健康増進法の制定、古くは優生政策、国際的にみれば途上国での避妊促進などが生政治の具体例に当たる。

生政治は経済の活性化や兵力の増強を目的に集団の生を育成・強化・最適化することに努めるが、それは他方で、生の保護を名目とする暴力をも促す。そこで、種としての人間や自民族の健全性・純粋性を保つべく、不純な分子とみられた集団の除去が目指される。それは生物学的連続性を持った人間というまとまりに区切りを設け、生きるべき者と死すべき者を分かつ論理であり、これをフーコーは人種主義と呼んだ。つまり生政治は人種主義と結び付くことで抹殺の機能を得る。戦争は国民の生存を懸けて行なわれ、収容所は国民の安全を守るために移民や特定民族集団を閉じ込める。

動物管理には明確に生政治の手法を見て取ることができる。選抜育種では優生学と全く同じ論理と方法が用いられ、畜産場や実験施設では動物の出生率・死亡率・健康状態等々が綿密に管理される。生態系管理では在来種の個体数や分布状況が監視される一方、不純な分子とみられた外来種が撲滅される。動物集団を標的とする生政治は動物飼育の歴史と同じかそれ以上に長く、人間社会の生政治はむしろその手法を人間集団に応用したものとみるのが適切と思われる。

生政治論はフーコーによって唱えられ、イタリアの思想家ジョルジョ・アガンベン、ロベルト・エスポジトらによって発展をみた。動物と生政治の関わりについては社会学者リチャード・トワイン、哲学者ケアリー・ウルフ、政治学者ジョゼフ・ワディウェルほか、主としてポスト人間主義の立場に則る研究者らが論じている。


疎外 alienation 〈独〉Entfremdung

主体の活動や所産が主体から切り離され、主体に敵対する疎遠な力として現われること。経済学者カール・マルクスは、資本主義下の分業体制によって労働者が被る疎外を、生産物からの疎外、労働活動からの疎外、類的存在(人間本質)からの疎外、人間関係からの疎外に大別した。すなわち、資本家に雇われる労働者にとって、自身がつくる商品はもはや自身に属さず(それは自分が使うものでなく資本家によって売られるものである)、労働者本人は商品をつくればつくるほど、自分自身が安い商品になっていく(生産物からの疎外)。また、労働活動自体も労働者が自己実現のために行なうことではなく、生活の必要に迫られ、資本家という他者のために行なうことでしかない。労働者は働くことで不幸を募らせ、その脱出口を家庭と余暇活動に求める(労働活動からの疎外)。さらに、こうした疎外労働の結果、労働者を人間たらしめる身体的・精神的能力は、単なる生存手段へと堕してしまう(類的存在からの疎外)。最後に、これらの疎外によって、人間同士の関係もまた、よそよそしく敵対的なものとなる(人間関係からの疎外)。

人類学者バーバラ・ノスケは、以上のようなマルクスの疎外論を発展させ、資本主義の生産様式がもたらす動物の疎外を論じた。

第一に、動物は生産物、すなわち自身の子孫、分泌物、さらには肉体そのものから疎外される。動物は可能な限り多くの子を出産するよう求められ、出産後は強制的に母子が引き離される。動物にとって我が子の誕生は悲しみの種でしかない。乳液や卵は本来の役割を無視され、商品化された「畜産物」となる。そして肥育や急成長に苦しめられる畜産用の動物、疾病の誘発に苦しめられる実験用の動物などにとっては、自身の肉体が自身に敵対する疎遠な力となる。

第二に、動物は生産活動から疎外される。資本主義体制の分業論理は、動物身体を一つの機能だけに特化させ、他の身体機能をそれに従属させる。異常な乳量を誇るホルスタイン牛や異常な産卵数を誇る卵用鶏は、そうした生産活動のために自身の生理系を破壊される。

第三に、動物は仲間関係から疎外される。動物産業は高度な社会性を具える動物たちを本来の共同体から引き離し、大規模収容、個体隔離によって動物同士の関係性を歪める。孤独の中、動物は時に人間との関係構築を求めるが、機械式の飼育環境や大規模収容環境においては、情の籠った関係は育たない。

第四に、動物は自然から疎外される。マルクスが想定した男性労働者にとっては、家庭が疎外労働から逃れられる場所であり、性別役割分業を求められる女性にとっては、家庭も労働の場となるが、資本主義の生産体制に組み込まれた動物にとっては、そもそも「家庭」自体が存在しない。産業利用される動物たちは自然環境から隔離され、変化の乏しい人工環境に置かれる。五感の刺激を奪われた退屈な暮らしは動物に安らぎを与えない。日々食べる飼料すらも動物本来の食性から外れた不自然な代物で、生理や健康に異常をもたらす。

最後に、これらの疎外によって、動物は類的存在、すなわち種としての本質から疎外される。



【た】

脱搾取/脱搾取派 veganism/vegan

動物搾取を経た産物の利用と消費を可能なかぎり避ける立場。「可能なかぎり」という言葉が具体的にどこまでの範囲を意味するかについては、脱搾取派のあいだでも意見が分かれるところであるが、一定の基準として、動物搾取は当の産物を得る上での必須条件か、意志による選択の余地があるか、という点が挙げられる。したがって例えば肉・乳・卵その他の動物性食品、皮革・毛皮・羊毛・羽毛その他の動物性素材を避けることは最低限の条件となる。なぜならそれらは動物搾取なしには得られない産物である一方、消費したくないという意志があれば別のもの(菜食料理や植物繊維)で代替できるからである。

これに対し、私見では動物実験を経た医薬品をやむなく服用することは脱搾取の理念に反さない。なぜなら、理論的にも実証的にも医薬品開発において動物実験は必要条件でなく、したがって医薬品が本質的に動物搾取の産物であるとはいえない一方、現実にはほぼ全ての医薬品が動物実験を経ているため、薬を必要とする人々には選択の余地がないからである。すなわち、動物実験を経た医薬品の全てを回避することは「可能」の範囲を超えている。脱搾取はそうした不可能な実践を求めるものではない。地面を歩いて虫を殺すのはよいのか、などの問題も同様に考えればよい。

もっとも、上の基準も完全ではない。直接的な動物搾取を行なう産業は除いても、ほぼ全ての人間活動は間接的に動物を苦しめるので、どこまでそれらを許容するかは、やはり意見が分かれる。また、選択の余地があるかないかも当人の境遇や工夫によって変わるところがある。したがって重要なのは、今よりも動物の犠牲が少ない生活はできないか、と絶えず各人が模索し続ける姿勢であろうと考えられる。この意味で、脱搾取は固定された概念ではなく、発展の可能性に満ちた一つの過程である。


動物解放(論) animal liberation

広義には、動物利用(少なくとも現在のそれ)に反対する全ての立場の総称。狭義には、動物の権利論*に対置される動物利用反対論。権利概念の使用に懐疑的な論者が、便宜的に自身の立場を指すために用いる例が見受けられる。狭義の動物解放論に則る哲学者ピーター・シンガーは、個の利益を守る不可侵の権利概念を用いずとも、利益に対する平等な配慮の原則を用いるだけで、動物の内在的価値を尊重し、動物利用への反対論を構築することは可能であると論じる。ただし、動物解放論の最終目標が、あらゆる動物利用の廃絶にあるのか、それとも「不必要」な搾取など、限定的な範囲における動物利用の廃絶にあるのかは曖昧で、論者により解釈が分かれる。

*動物の権利(論)


動物産業複合体 animal industrial complex

人類学者バーバラ・ノスケが創作し、社会学者のリチャード・トワイン、デビッド・ナイバートらが発展させた概念。動物利用企業を中心に、その提携先である小売店・宣伝組織・警備会社・研究機関・メディア機関や、政府の関連部局・情報機関・警察機構を取り込んで形成された産業ネットワーク。

ノスケによると、動物産業複合体が台頭した背景には、肥大化した食肉加工会社を中心とするアグリビジネスの成長がある。食肉加工会社が垂直統合(商品の生産・加工・流通を一元管理する経営手法)によって畜産業への影響を強める一方、宣伝・広報・メディア会社は畜産物の消費を促し、大学機関は畜産の生産拡大へ向けた研究開発を行ない、政府は畜産用の飼料作物栽培や大学の研究開発に補助金・助成金を支給する、といった関係を通し、動物産業複合体の原型が形づくられた。

近年ではさらに、力を増した動物擁護運動や環境保護運動から企業利益を守る目的のもと、動物産業とセキュリティ機関の癒着も強まりつつある。また、動物利用を促し社会の規範と位置づける、という共通目的に沿って、畜産業と動物娯楽産業など、異なる業種間の結託もみられる。その他、「人道的」畜産物の宣伝を担う動物福祉団体、「持続可能」な漁業やスポーツ・ハンティングを促す環境保護団体なども加わって、現在の動物産業複合体は成り立っている。


動物の権利(論) animal rights

動物には他者にとっての有用性とは独立に、当の動物たち自身にとっての価値(内在的価値)が具わっているとした上で、その価値がないがしろにされる事態を防ぐため、不可侵の権利を動物に認めようと考える立場。有用性を超えた内在的価値とは、道具的でない価値とも言い換えられ、それを守る権利とは、他者の手段としてのみ扱われない基本権を指す。したがって動物の権利論は、動物を人間の目的に資する手段として扱う行為の一切を認めず、動物利用の廃絶を求める。

功利主義にもとづくピーター・シンガーの動物解放論*がはらんでいた限界を克服すべく、哲学者トム・レーガン、ゲイリー・フランシオンらによって構築された理論。

*動物解放(論)


動物福祉(論) animal welfare

動物利用を認めた上で動物の扱いを改め、苦痛の軽減を図る功利主義的な思想および政策。ラッセル=バーチの著作(1959)で示された動物実験に関する「3つのR」、ブランベル報告書(1965)で唱えられた畜産に関する「5つの自由」などがその代表的原則。

動物の苦痛を減らすという考えから、伝統的に動物擁護の方法論に分類されてきたが、現実の動物福祉は、動物の産業利用と両立するかぎりで動物の扱いを改善するのみに留まる。したがってそれは動物利用に支障を来さない範囲で「不必要な苦しみ」を取り除くに過ぎない。言い換えると、動物福祉は産業の生産性を上げない「余計な虐待」を防止することが主目的であり、そうである以上、その政策はむしろ動物産業を益する結果となる。

例えば屠殺場における動物のストレスを緩和する施策は、見かけ上は動物を苦しみから救うための措置と映るが、実際には動物の抵抗を抑えることで屠殺作業を効率化し、その分だけ犠牲の数を増やす。工場式畜産場における抗生物質の使用を禁じ、衛生管理を促す施策も、過去の実績を振り返れば、むしろ生産性の向上(すなわち犠牲の増大)につながる。

このような構造的欠陥をかんがみるに、動物福祉が動物のためになると信じられる根拠は希薄であり、むしろ長期的には動物の権利確立を妨げる要因となりうる。搾取を合理化したところで搾取の廃絶は訪れない。動物の苦痛を減らす施策は(目的がどこにあろうと)全て善いもののように捉えてきた動物活動家は、いまいちど動物福祉を推進する意義について考え直す必要があると思われる。

なお、従来の動物福祉論がもとより動物利用の廃絶を目標としないのに対し、動物利用の廃絶を最終目標に据えつつ段階的戦略として動物福祉を進める立場を新福祉主義*という。動物の権利論者ゲイリー・フランシオンは、従来の動物福祉論も新福祉主義も、実質的な活動は同じになり、両者はともに動物を救う方途にはならないと論じる。

*新福祉主義



【な】

人間学機械 anthropological machine 〈伊〉macchina antropologica

哲学者ジョルジョ・アガンベンの創作語。哲学や科学において、動物や「人間に至らざる存在」との差別化を通し、カテゴリーとしての「人間」を構築する原理。アガンベンはこれを「近代人の人間学機械」と「古代人の人間学機械」に分ける。前者は人間集団の中から動物的とみた人々を排除する原理で、これにより、動物化された集団は差別と迫害の対象となる(ナチス政権下のユダヤ人など)。後者は動物とみなされた存在を「人間化」する原理で、これにより、「人間の姿をした動物」に分類された者たちが「人間」の境界を示すこととなる(奴隷や「野蛮人」など)。



【は】

廃止論 ⇒ 廃絶主義


廃絶主義 abolitionism

動物の権利論*の一流派。いわゆる動物の権利運動が、動物の解放を目指しながらも動物福祉*を推進するという新福祉主義*に陥っていることへの反省から生まれたアプローチで、動物の権利論本来の理念に立ち返り、表面的な動物の扱いの規制ではなく、諸悪の根源である動物利用そのものの廃絶を目指す。すなわち、なくすべきは「悪い利用」ではなく「利用そのもの」である。

動物の権利論者ゲイリー・フランシオンは、問題の根を断つ、という廃絶主義の目標に則り、6つの原則として、(1)財産という動物の地位の撤廃、(2)動物福祉運動および単一争点の運動(毛皮だけに反対、捕鯨だけに反対、といった運動)の不支持、(3)脱搾取*の規範化と普及、(4)情感(快苦を経験する能力)のみを道徳的配慮の基準とする統一、(5)諸々の人間差別の否定、(6)非暴力、を掲げる。

*動物の権利(論)、動物福祉(論)、新福祉主義、脱搾取/脱搾取派


ビーガニズム/ビーガン ⇒ 脱搾取/脱搾取派


批判的動物研究 critical animal studies

動物の権利論*を軸に、無政府主義・批判理論・環境教育・社会正義などの考え方を取り入れ形成された学術領域。従来の学界を支配していた上辺だけの客観性・中立性・政治不干渉の立場は、搾取と抑圧を批判せず、その存続を許すものであるとの認識から、批判的動物研究はこれを廃し、資本主義や階層制度といった支配構造に真っ向から異を唱え、総合的解放(動物・人間・地球、全ての解放)を追求する。そこではあらゆる抑圧(種差別・性差別・人種差別・民族差別・障害差別・年齢差別その他)が相互に絡み合い強め合うものと認識され、その克服のために諸々の学問や運動を総合した学際的・領域横断的アプローチが重んじられる。理論のための理論づくりは戒められ、理論は支配を消し去るために存在するとの考えから、理論と実践、学問と社会の統合がめざされる。

また、従来の動物研究が人間以外の動物を他者や客体として扱っていたのに対し、批判的動物研究は動物の「声」や主体性を強調して、動物の視点に立った正義追及を志す。したがって脱搾取*の実践はその(目標ではなく)基本前提となる。脱搾取は個人の選択に関わる問題ではなく、動物の内面性を重んじ暴力の廃絶を求める者の当然の使命と位置づけられる。その上で、批判的動物研究の担い手は学界と民間の境を越え、諸分野の研究者と市民を交えた対話の機会を設けるとともに、みずから動物擁護・人権擁護・環境保護などの社会正義運動に加わり、その連帯形成に尽力する。

*動物の権利(論)、脱搾取/脱搾取派


不在の指示対象 absent referent

キャロル・アダムズの創作語。利用行為の中で消し去られる利用対象の実像ないし本質。例えば「食用動物」「軍用動物」「補助犬」などの存在は、人間の「資源」や「道具」としての意味を付与されることで、動物としての本質を消し去られる。すなわち、「食用動物」という概念は「肉」としての動物身体を意味するのみで、もはやありのままの動物を意味しない。「補助犬」という概念は障害を抱えた「ユーザー」の道具を指すのみで、ありのままの犬を指さない。これと同じく、動物利用の産物を表わす語は、当の物質に「食材」や「衣服」としての意味しか与えず、それが「搾取・殺害された動物(の身体片)」であるという本質を指し示さない。例えば「肉」という言葉から人々が連想するのは「料理」であって「屠殺された動物」ではない。これらの概念や言葉が用いられる中で、動物は意味的に不在化している。


ベジタリアニズム/ベジタリアン ⇒ 菜食主義/菜食主義者



【ま】

【や】

【ら】

【わ】