動物擁護団体の性搾取問題【参考資料1】
PETAをはじめとする動物擁護団体の女性身体利用はフェミニズムと動物擁護運動の双方に有害であるため、以下にこの問題を考えるための資料を紹介したい。訳出したのは社会学者コリー・レンが代表を務めるビーガン・フェミニスト・ネットワークの関連記事である。動物擁護運動の問題に加え、性売買やその擁護言説(いわゆるセックスワーク論)を考えるうえでも有用な資料になると信じる。
なお、原文中のリンクは有効なもののみを訳文に反映した。〔 〕は訳注である。
社会運動の性売買
2013年9月4日 Vegan Feminist Network
閲覧注意:性売買とポルノグラフィを論じます。
ヌードでの抗議は社会活動で長く行なわれてきたが、今日の極度にセクシュアル化した世界、すなわちポルノが主流となり、第三波フェミニズムがセクシュアル化をエンパワメントと担ぎ上げるこの世界では、それが大きな推進力を得つつある。メディアの注目は社会運動にとって最高の価値がある。それは組織の認知度を高め、ボランティアを増やし、より重要なことに、さらなる寄付金をもたらす。今日では、競合する無数の画像が投げ込まれるデジタル化した高速のメディア風景でメディアの注目を集めるべく、一部の社会運動組織は無料のソフトコア・ポルノで目立とうとする。無料サンプルの提供は競争の激しいオンラインのポルノ空間でポルノ業者が頻用する手口である。彼らは消費者に商品の一部を鑑賞させ、消費者が興奮して続きを購入したいと思うことを期待する。
このエッセイを書き始めた時、私は社会運動全体を吟味しようとしたが、残念なことに、またも、人ならぬ動物の権利運動が女性の悪用で独壇場を築いている。これ以外で同じことをしている大きな社会運動(かつ裸体擁護運動ではないもの、つまり裸になっても罰を受けない自由を擁護する人々の運動ではないもの)といえば、平和・反戦運動しかない。例えばブレスト・ノット・ボムズ〔爆弾ではなく乳房を〕は、〔裸体の〕女性ボランティアが政治的なプラカードを持って街中を行進する。
それにフィメンという男性主導のフェミニスト団体もある。メンバーのほとんどは細身の若い白人女性で、その主張によれば、彼女らは公共空間をトップレスで練り歩き、全ての女性(時に褐色人種の女性)を代表して声を上げているという。
こうした例外を別にすれば、正義のために裸になるのは人ならぬ動物の権利運動が専売特許としているところである。加えて、セクシュアル化を戦略に用いる人ならぬ動物の権利団体を支持する人々は、男性の裸体も使われていると言うであろうが、公衆に示されるセクシュアル化された身体の圧倒的大部分は細身の若い白人女性のものである。運動参加者の8割が女性とあって、運動における最大のボランティア要員は組織にとって肉体資産の宝庫となる。身体部位は女性たちの知性・技能・創造性・献身・統率力を排除する形に政治化される。
PETAなどの組織は女性ボランティアを募り、街頭やポスターや映画に用い、無賃で働く彼女らを事実上の性売買に供することで、資金とメディアの注目とその他の財源を得る(なお、PETAはおそらく最も悪名高いが、この戦略を用いる唯一の組織では断じてない)。この組織的な社会運動の性売買は典型的な街頭性売買と同じ言い分で弁護される――女性たちはみずからそれを選択している、あるいはそれによって利益を得ているのだと。しかし自由選択はしばしば幻想にすぎない。女性たちは男性と同じだけの選択肢を持っていない。人ならぬ動物の権利運動に加わる女性たちは、公共空間で服を脱いで男性のまなざしにさらされる「選択」へと誘導されている。女性たちはそこから何かを得ているだろうか。中にはそういう女性もいるだろう。とりわけ中産階級の白人女性なら。裸は悪いことか。まさか、もちろんそんなことはない。けれども私たちはパターンと権力を認識する必要がある。男性らが権力を握る世界では女性身体の利用にパターンがある。
女性活動家はリソースのために自分の体を「売って」いるが、その収益は一銭たりとてこのセックスワーカーたちのものにはならない。代わりに、集められた金は彼女たちの元締めにあたる組織のものとなる。客が性売買当事者女性を性行為のために買う際は、女性に金を支払い、往々にしてその金は女衒のものとなる。客がPETAの女性に興味を持って入会費を払えば(例としてPETAの「Veggie Love」キャンペーンを参照されたい)、金は組織のものとなる。
話は変わるが、オレゴン州ポートランドにはビーガンのストリップクラブがあり、女性たちが「主義」のために性を買われる。クラブ所有者の男性は「乳房を差し出すこと」が客を集めて店のビーガンメニューを注文する気にさせる唯一の方法なのだと言い張る。彼は「あらゆる生きものの苦しみをなくしたい」と主張するが、彼やその運動は女性たちも「生きもの」であるという事実を無視しているらしい。私たちは「ペニスを差し出すこと」でもいくらかの注目を集められるだろうと確信できるが、父権制のもとではどうあっても女性の裸こそが期待される。
ストリップは性売買と同様、脆弱な立場の女性集団を餌食にすることが多い。なお、多くのフェミニストとサバイバーは「セックスワーク」という言葉を婉曲表現と考える。人身取引される女性たちのことを考えれば、私たちはそれを性奴隷制とみなければならない。それは極端な頻度で性加害、レイプ、その他の暴力に見舞われる「ワーク/仕事」である。ほとんどの女性にとって暮らしを立てることがひどく難しい「仕事」、職業上の安全がほとんど存在しない「仕事」である。ストリップクラブは一連の厳しい規則によって、金のほとんどが重労働をこなす女性たちではなく男性オーナーのものになることを確実とする。性売買と同様、ストリップはリベラルの想像内で美化・理想化され、自分の仕事と生活を自在にできる独立した女性が自由選択したものとみなされる。一部の女性はそのような行為主体性を持つが、ほとんどの女性はそれを持たない。
今日の社会活動は諸団体が生き残りをかけて肝心な資金調達を争う非営利産業複合体へと変貌してしまった。この極端な投資依存ゆえに、戦略は妥協的となり、活動は世界を変えるためでなく団体を支えるための金儲けの手段となる。言い換えれば、よしんばこのセクシュアル化した戦略を目にした人々がそれをきっかけに人ならぬ動物の権利団体をサポートし始めたとしても(そんなことが起こりうると示すエビデンスは一つもないが)、集められた金のほとんどは反種差別のために使われない。代わりに大半の金は団体を存続させ、スタッフに給料を払い、さらなる金儲けの手段を立ち上げるために投じられる。
断言するが、人ならぬ動物の権利運動は女性たちの参加をストリップと合法性売買に貶めることで貴重な資源を浪費している。女性たちの身体を客体化する代わりに彼女らの頭脳を養成すれば、遥かに多くの達成が望めるだろう。こうした戦略が運動にグルーミング〔手なづけ〕される多数の少女や女性たちにおよぼす悪影響に加え、このような活動が女性人口全体におよぼす影響も考える必要がある。社会的に容認された女性の貶めとその性的客体化は、女性に対する差別と暴力に直結している。この帰結を社会正義運動は非常に重く受け止めなければならない。
元記事リンク:https://veganfeministnetwork.com/movement-prostitution/
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