動物擁護団体の性搾取問題

最終更新:2024年3月16日


社会正義は単一争点の姿勢によって多くの分断を招いてきた。既に各所で論じてきた通り、動物擁護の従事者が人権活動家の独善を正当に咎める一方、動物擁護の運動もまた、その甚だしい人権感覚の欠如によって他の社会正義に携わる人々から不満を買ってきた。個々の活動家による職業差別・人種差別・能力差別発言も目に余るが、主流の組織が行なってきた悪名高いキャンペーンに、女性身体の性的利用がある。人目を引くためにポルノ的表現を用いる手法は、動物の商品化に抗議する目的で女性の商品化を利用する本末転倒に陥っている、との批判を受けて久しい。

世界最大の動物擁護団体といわれるPETAは、とりわけ性的表現をはじめとする無神経な手法を濫用して数多くの批判を招いてきた。近年の街頭活動を見ていると、いまださまざまな点で無神経な表現が目立つとはいえ、さすがに性的表現はあまり使われなくなったように思っていたが、先日、イギリス支部がまたもそのようなキャンペーンを行ない、物議を醸していることを知った。以下がその動画である。

PETAのポルノ的キャンペーンは動物擁護における最悪の活動例の一種として、今や海外ではあらゆる動物倫理の関係者から問題視されているほどであるが、当のPETAは動物擁護運動の外部のみならず内部からも再三にわたり批判を受けていながら、その人権意識を全く更新していなかったようである。PETAは世界各国に支部を持ち、所属する活動家も膨大な数にのぼることから、全ての活動内容を管轄しきれていない可能性もあるが、それにしてもこのような表現手法を絶対的に禁じる団体としてのガイドラインすら作成していなかったことに嘆息を禁じ得ない。

私事にわたるが、近々発売される私の次著ではPETAへの言及がある。が、ポルノ的キャンペーンの問題については既にかつての文章でたびたび触れてきた(※1)のに加え、近年の日本におけるPETAの活動を振り返ってもそれに該当するものはなかったので、今回は筆誅を加えなかった。もはや校正を終え、出版を待つだけとなった現在に至って上のようなキャンペーンが行なわれ、このたびの著作で批判を省いたのは間違いだったと大いに後悔している。

活動家は動物搾取に頑として向き合わない無関心な大衆の関心を引こうとの思いから煽情的な手法を用いる。したがって炎上すればそれも注目された証として肯定的に捉える。そしてこれに憤る人々に対しては、見てくれの表現を咎めるだけでなく活動のメッセージを読み取ること、つまりこの活動で問題視している動物搾取に向き合うことを求めるだろう。

しかしながら、この考え方は間違っている。そもそも煽情的な表現は動物搾取の実態から人々の意識をそらす点で逆効果である、という事実もさることながら、ポルノ的キャンペーンは動物擁護の名目において女性の客体化という別の抑圧を強化するがゆえに内部批判されなければならないのである。フェミニズムの流派も多様であるが、性の解放という倒錯をしりぞけ、構造的な性差別・性暴力・性搾取の体系に挑むラディカルな系譜のそれは、ポルノや性売買に代表される女性身体の性的利用、同意のファンタジーにもとづく放縦な性と生殖の商品化を打倒することに努めてきた。動物擁護の運動がポルノ的キャンペーンを行なえば、女性抑圧と闘う当事者たちの取り組みを明確に妨害することになる。無論、動物擁護やビーガニズムの運動がフェミニズムの運動と連帯することも一層困難になるだろう。

動物擁護を支持する人々は、逆の状況を考えてみればよい。もしも例えば、人間のための正義運動に取り組む活動家が、敵視する人物を「豚」や「動物」に譬えていたら、動物擁護派はもちろんそれを問題視するだろう。その人々は自身の正義にのっとりながら動物を貶め、ひいては種差別を強化しているからである。同じく、社会正義問題を語る会合で動物性の料理が振る舞われたとしたら、動物擁護派はそれが現状では仕方ないことと知りながらも、動物搾取に無関心な主催者や参加者の態度にがっかりさせられる。社会正義の従事者がその取り組みにおいて動物抑圧に加担することを、動物擁護派はよしとしない。それは動物解放の目標達成を妨害するからである。ならば動物擁護派が自身らの取り組みにおいて他の抑圧に加担することも同じ程度に許されてはならない。

動物擁護に携わるエコフェミニストのリサ・ケメラーは、一人の活動家があらゆる問題を知り、あらゆる正義に尽力することはもちろんできないとしたうえで、こう指摘する。「しかし活動家たちは、単一的な関心から一つの正義に献身する中で、互いの敵になってはならない」(※2)。正義運動の従事者はいずれも自分たちの声が世間にとどかないことを悩みの種とするが、このような正義の断絶状況を乗り越えるには、各々の活動家が自分の声をとどけるにとどまらず、さまざまな他者の声を聴いて絶えず運動の刷新を図ることに努めなければならない。動物擁護の運動が人々の理解を得るには、動物のことだけを考えて人権をないがしろにする狭量な問題関心を脱する必要がある。


<参考資料1を読む>

<参考資料2を読む>


※1 一例として『動物倫理の最前線』(人文書院、2022年)から該当箇所を引用する。

女性は人目を引くためのポルノ的キャンペーンに利用される。世界最大の動物擁護団体「動物の倫理的扱いを求める人々の会」(PETA)は、半裸や全裸の女性を前面に立たせるパフォーマンスを繰り返してきたことで特に悪名高い。こうした戦略は大衆の好奇心を煽るだけで肝心の訴えを軽々しく思わせるのに加え、女性の商品化を通して動物の商品化に抗議するという本末転倒に陥っている。活動家はこれらのキャンペーンに合意しているとされるが、アダムズはその論理を「本質的に問題含み」だと言い、これほどまでに性の商品化が浸透した社会、かつ女性たちが性的対象物として利用されることを拒み難い社会においては、「合意の概念はその意味のほとんどを失っている」と論じる。(p.293)

※2 Lisa Kemmerer (2011) "Introduction," in Lisa Kemmerer ed., Sister Species: Women, Animals and Social Justice, Urbana: University of Illinois Press, p.27.


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