「飼い貶し」という訳語について

先日、野林厚志編『肉食行為の研究』(平凡社、2018年)を、寄稿者の方よりご恵投いただいた。人間と動物の関係性を多角的に考察する上での礎石として、その内容に期待が持たれるが、全体への書評は別の機会に譲るとして、一点、早急に正しておきたい箇所があったので、ここにそれを述べることとしたい。

同書の中で、拙作『動物・人間・暴虐史』の中に現われる概念「飼い貶し」(domesecration)に関する言及があった。その内容はさておき、『動物・人間・暴虐史』を翻訳した私にとって問題だったのは、「飼い貶し」という訳語の適不適に関する指摘である。『肉食行為の研究』の「序」では、次のように述べられている。

もっとも、この訳語の与える印象については留意しておく必要があるだろう。少なくとも、secrationという部分は隠匿するという程度の意味であり、「貶める」といった強い語感をもった「飼い貶し」という訳語が適当であるか否かは議論の分かれるところであろう。訳者の井上太一は訳書のあとがきで、ナイバート[引用注:『動物・人間・暴虐史』の著者]の主張にかなり影響され、自身も菜食生活者になったことを告白している。立場の違いは、表現の中立性に少なからず影響を与えるかもしれない。(『肉食行為の研究』p.19-20)

実のところ、「飼い貶し」はdomestication(飼い馴らし)とsecration の混成語ではなく、domestication とdesecration(聖性の剝奪、すなわち貶める行為)の混成語なので、私案のままで問題はないと考える。原書と拙訳の対応では次のようになる。

The emergence and continued practice of capturing, controlling, and genetically manipulating other animals for human use violates the sanctity of life of the sentient beings involved, and their minds and bodies are desecrated to facilitate their exploitation: it can be said that they have been domesecrated.[原書p.12、domesecratedはイタリック]
人間が利用するために他の動物を捕獲し、管理し、遺伝形質を操作するという営み、これが現われ、続けられたことで、ものを感じる存在の命の聖性は損なわれ、心身は搾取に向けて貶められてきた――当事者となった動物たちは、"飼い貶される" のである。[拙訳p.21]

ここにあるように、desecrated(「貶められてきた」)とdomesecrated(「飼い貶される」)が文章上でも対応関係をなしている。

原則として、学術書は可能なかぎり原文に忠実な表現で訳出することを心がけ、元の語にない含意を訳語に持たせることはなるべく避ける方針をとっている。「飼い貶し」という訳語を考え出すまでには相当の時間を費やし、これ以上の適訳はないと思える案に辿り着いたと思っている。自作の訳語の中では最も気に入っている語彙である。

なお、こちらは特に問題とはならない部分であるが、私が菜食生活へ移行したのは『動物・人間・暴虐史』を翻訳するよりも前のことであった。むしろ動物解放論を支持する菜食人の目で翻訳候補作を選定していたところ、『動物・人間・暴虐史』の原書に出会った、という経緯が事実である。誤解を正すため、一応その点も書き添えておきたい。




ペンと非暴力

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