SNSの糾弾文化について――AIとの会話
心理学者のメラニー・ジョイは、著書『ビーガン・マトリックス』の中で、「ビーガンか非ビーガンかを問わず、社会変革を支持する人々のコミュニケーションでかなりの部分を占めるのはシェイミング(はずかしめ)である」と語った(*1)。実際、社会正義に関心を寄せる人々のあいだでは、構造の変革が唱えられるのとは裏腹に、個人の問題に目を光らせ、糾弾やキャンセルに明け暮れる行動がしばしば見受けられる。この傾向はとりわけソーシャルメディアにおいては末期症状とも言うべきレベルに達し、有意義な対話や連帯形成を全く不可能としている。
この問題に関してはいろいろと思うところがあるが、まとまった文章を書くだけの余力はない。しかし、かつてAIの深度求索(Deepseek)にこの問題を尋ねた際、興味深い回答が得られたので、ここに転載しておくのも誰かの参考になるかもしれないと思った。
なお、これはAIの環境負荷について知る前に行なった会話であるが、現在はこのような雑談用途でのAI利用は良くないと考えている。
私からの質問:
SNSで他人の糾弾やキャンセル扇動を繰り返している人がいます。本人らは正しいことをしているつもりなのでしょうが、その行為が本人に与える悪影響はありますか? また、数年後に本人が時間浪費した虚しさを感じる時はあるでしょうか。
深度求索の回答:
この質問は、SNS上の「糾弾」や「キャンセル(キャンセルカルチャー)」に加担する行為が、行為者自身にどのような悪影響を及ぼすか、という鋭い視点ですね。
結論から言えば、本人が正義感に酔っていればいるほど、その行為は本人の精神健康・人間関係・キャリアに深刻なダメージを与え、数年後に「虚しさ」を感じる可能性は非常に高いです。
以下、具体的な悪影響と、時間経過とともに訪れる心理的変化を解説します。
1. 行為者が今、気づいていない「本人への直接的な悪影響」
- アドレナリン依存と燃え尽き症候群 糾弾行為は脳内にドーパミンやアドレナリンを放出させ、「正義の興奮」という快感をもたらします。しかし、この状態が長続きすると、常に敵を探す「戦闘態勢」がデフォルトになり、何もない時にイライラしたり、不眠や慢性的な疲労に陥ります。
- 思考の硬直化(認知の歪み) 「自分は正しく、相手は悪」という二項対立の思考を繰り返すと、脳は複雑な中間領域を考慮できなくなります。結果として、自分の間違いや過剰反応に気づく柔軟性を失い、知的な劣化を招きます。
- 社会的な評判の毀損(デジタルタトゥー) 「炎上させた側」としての記録は永続します。就職活動や転職、取引先との関係で、過去の過激な投稿がスクリーンショットで拡散され、「リスクのある人物」としてブラックリスト化されるリスクがあります。
- 健全な人間関係の崩壊 リアルな友人や家族は、その人の過激なSNS姿勢に「自分もいつ糾弾されるか」という恐怖を覚えます。結果として、距離を置かれたり、本音で話せなくなり、孤独が深まります。
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2. 数年後に「虚しさ」を感じるタイミングとその理由
はい、ほぼ確実に訪れると言ってよいでしょう。ただし、それは「あの時やめたほうが良かった」という後悔ではなく、「何のために戦っていたのか分からなくなる」という形で現れます。
- 波が去った後の静けさ あるターゲットの糾弾が終わり、次のターゲットに皆の関心が移った瞬間、自分だけが熱くなっていたことに気づきます。誰も感謝せず、社会的な変化も実感できず、「あれだけ時間を注いだのに、何も残っていない」と気づくのです。
- 自分の過去の投稿と現在の価値観の乖離 数年後、自分が書いた過激な文章を読み返すと、幼稚さや視野の狭さに愕然とします。特に、自分が成長して多様性を受け入れられるようになった時、過去の自分の行動が黒歴史として重くのしかかります。
- 「時間の取り返しのつかなさ」に直面する 糾弾に費やした数百時間は、本来、スキル習得や趣味、大切な人との時間に充てられたはずです。30代・40代になり、人生の有限性を実感した時、「あの時、何をしていたんだろう」という虚無感が最大になります。
- 「誰も覚えていない」という最大の虚しさ 最も皮肉なのは、糾弾した相手も、一緒に叩いていた仲間も、数年後にはその出来事を覚えていないことです。自分だけがその感情と時間に縛られていた事実に気づき、「私は誰のために戦っていたのか」と自問する日が来ます。
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3. もし今、その行為に迷いがあるなら(あるいは未来の自分へのアドバイス)
- 「正義」を「攻撃」ではなく「建設」で定義し直す 誰かを壊すことではなく、別の誰かを支えることや、具体的な政策提言、ボランティアなどに時間を使う方が、はるかに達成感と自己成長をもたらします。
- 「この行為を、我が子や親友に見せられるか」と自問する 自分のアカウントを、最も尊敬する人に見せたとき、誇れるものかどうか。これが最もシンプルで有効なチェックポイントです。
数年後、あなたが「あの時の熱狂」を懐かしむこともなく、むしろ「よくあれで時間を無駄にできたな」と冷静に笑い飛ばせる自分でいるためには、今、一歩引いて「自分自身の人生の時間」という有限の資源をどこに投資するか、再選択することをお勧めします。
もしご自身がそうした行動を取っている側で、今この質問をしているのであれば、それ自体が既に「気づき」の第一歩です。その感覚を大事にしてください。
後記
実際のところ、ソーシャルメディアで糾弾中毒に陥っている人々が自分を振り返ることがあるかどうかはわからない。しかし、そうした人々がひっきりなしに新たな敵を見つけ出し、無駄に強い言葉で人心を煽ろうとしているのは、うすうす感じている自分の行動の虚しさを紛らわしたいがゆえの振る舞いにも思える。図らずも深度求索が紡ぎ出した上の助言が、そうした人々に内省のきっかけを与えてくれたらと願う。
*1 Melanie Joy (2020) The Vegan Matrix: Understanding and Discussing Privilege Among Vegans to Build a More Inclusive and Empowered Movement, Lantern Publishing & Media, p.80.
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