シーラ・ジェフリーズの訳書刊行に寄せて

このたび、フェミニズム関連の仕事として翻訳を手がけたシーラ・ジェフリーズの著書『性売買の思想』が刊行された。ジェフリーズはセクシュアリティ研究の分野で多数の重要文献を発表しているフェミニストの理論家であるが、その思想的立場と今日の政治状況を鑑みるに、本書の出版は方々に波紋を広げるものと思われる。そのため、予想される争点に関する私なりのスタンスをここに記しておきたい。


性売買/セックスワークについて

まず、本書の刊行意図はただ一つ、現在のフェミニズムやジェンダー論で主流となっている「セックスワーク論」の正当性に一石を投じることにある。性売買については今日、当事者の主体性を尊重するという考え方のもと、これを労働や性の自由の行使とみるセックスワーク論の立場が広く支持されており、性売買を性の買い手による搾取とみてその最終的な廃絶をめざす立場は「セックスワーカー差別」というレッテルのもとに糾弾されている。が、私はセックスワーク論への疑問が拭えず、学習を重ねていくうちに後者(廃絶主義)の立場をとるラディカル・フェミニズムの議論のほうが妥当であるように思えてきた。ただし、その詳しい理由については実際に私が翻訳した書籍に当たってもらえば分かることなので、ここでは論じない。セックスワーク論の支持者がどのような考えのもとで性売買を擁護し、反性売買の立場を差別的と断罪しているかは承知しているが、ジェフリーズの著作はまさにそうした議論の問題点を明らかにしている。


トランス差別について

本書の刊行が物議を醸すとすれば、それはどちらかというとセックスワーカー差別よりもトランスジェンダー差別(以下、トランス差別)をめぐってのこととなるだろう。著者シーラ・ジェフリーズは、トランスジェンダーの人々に対し差別的な認識を持っているとして、トランス擁護に取り組む人々から問題視されているからである。確かにジェフリーズのジェンダー観がトランス擁護運動の根底にあるクイア理論のジェンダー観と相容れないという点は理解できる。これは双方の考えるジェンダー概念の違いに根ざす問題であり、対立を解消する道は容易には見つかりそうにない。

しかしジェフリーズの評価はさておき、一般論として私の立場を述べるなら、重要と思われる本があり、その本自体に許容度を超えるほどの有害な記述が含まれているのでもないかぎり、著者の思想の一側面のみを理由に翻訳を拒否することはない。もちろん、言うところの「許容度」は私自身の主観にもとづくので、その尺度がおかしいという批判があれば受け止めたいが、少なくとも一面において問題含みなところがあるとされる人物の書いたものは、翻訳も紹介も研究も一切してはならない、という考え方には賛同できない。先ごろ刊行された『新・動物の解放』の著者ピーター・シンガーなどは障害者に対し差別的な議論をしているということで悪名高いが、このように私は自分と大いに思想が異なる人物や、批判的にみざるを得ない人物の作品も、出版意義が認められるかぎり翻訳してきた。道徳的に完全無欠な聖人の著作物しか存在を許されないということであれば、歴代の作家や学者が書いた本など、ほとんど残らないだろう。ちなみにビーガンの目で見ると……という話もしたいところであるが、これは一旦保留しておいてもよい(なお、ジェフリーズは動物解放論者のベジタリアンである)。


男性問題について

最後に、私自身がフェミニズムとトランス擁護運動の対立について何を考えているかであるが、これは比較的はっきりしている。基本姿勢として、私は被抑圧階級かつ闘争主体としての女性アイデンティティを尊重し、性搾取の廃絶、ジェンダー規範の解体、男性中心社会の打倒を支持する。と同時に、性別二元論的な社会秩序から排除されてきた人々の機会と権利を拡充するための改革も支持する。そして両者の取り組みを対立へと向かわせてきた大きな原因は男性の権力独占と女性蔑視にあるという認識のもと、常にそこを問題視していきたい。

トランスジェンダー包摂の政策が女性の権利に反するといわれることがあるのは、諸機関や諸企業の意思決定が男性に独占され、女性の利害を考慮しない措置が方々でとられるせいだと考えられる。例えば、女性雇用枠にトランス女性を含めるといった措置を考えてみてもよい。意思決定者の男性らは、自分たちが不釣り合いに多くのパイ(機会や権利)を占有しているという自覚すらなく、不当に切り詰められた女性のパイを「よりかわいそうな」トランス女性にも分け与えようと考える。こうして「自分たち以外の者」にマイノリティへの配慮を「負担」させ、不満や疑問の声を「差別」と名付けて封じ込めておけば、支配階級は何の努力も自省もなく、いくらでも「インクルーシブ」な進歩思想の看板を掲げていられる。かたや男性のパイを女性や他のマイノリティに再配分しようという提案は一向に出てこないのである。女性スペースや女性スポーツに関する諸機関の決定にも、男性視点だけで物事の運用を決めるという同根の問題が見て取れる。そしてあいにく、トランス擁護を主張する識者一同もこうした傾向を批判しない。

無論、理不尽な政策への怒りをトランスジェンダーの当事者にぶつけ、その悪魔化や個人攻撃におよぶ人々は批判されてしかるべきであるが、フェミニズムとトランス擁護を支持する男性はまず、対立の大元にある自分たち男性の問題にこそ目を向けるべきだろう。分断の原因をそれだけに帰すことはできないにせよ、男性の認識と行動を改め、その根底をなす権力独占の構造を崩し去っていけば、いわゆる「トランスジェンダー問題」は相当な程度まで解消されるに違いない。ポジショナリティの観点からも、私は「トランスヘイター」との闘いや「トランスジェンダリズム」との闘いに身を投じるのではなく、私自身が属する男性という支配階級の批判を通して現状打破に努めることが自分の役目であろうと考える。フェミニズムの仕事はいうまでもなく、私にとってはビーガニズムの仕事もその取り組みと無関係ではない。


細かいことを論じれば話は尽きないが、当面の見解表明はここまでとしたい。あとはこれまで通り、なるべくさまざまな人々と相互の尊重にもとづく対話を重ね、自分の認識を育て改めることに努めていければと思っている。


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